巷では着古した衣服を程よい大きさに切って、お掃除などに使える「ウエス」にするらしいですね。
私はというとヨレヨレで毛玉の棲みついた服でさえも捨てることも出来なければ、昔よく着ていた服にハサミを入れることも出来なくて、タンスの肥やしとしてきました。
そんな私がつい先日、ついに服にハサミを入れることができました。
どういう心境の変化なのかは自分でもわかりません。
わかりませんが、目の前の毛玉まみれの服を見ていたらその時むしゃくしゃしていたこともあってか、すっきりしたい気持ちになりハサミを入れてみました。
一回ハサミを入れればこっちのもんです。
なんだか悪いことをしている気にもなってドキドキもしました(笑)
この日はワンピースを三枚おろし風にしてやりました。
肩から腕まわりの布だけになった服がなんか面白くて、ゲラゲラ笑いながらハサミを入れていきました。
何かが吹っ切れた感じがしました。
悪いことをしている気がしてできなかった着ていた服にハサミを入れるという行為。
一度実行してしまうと、妙な背徳感と爽快感がありました。(笑)
しかもただ悪いことをしているのではなく、捨てるはずの古着を再利用できるというエコ活動との一石二鳥感。
最後の最後まで何かに役立ってもらってさよならを言うこの手放し方、ただ捨てるより服に最後まで感謝ができていいなと思いました。
タンスの肥やしにしていると着てないなぁ…でも捨てにくいなぁ…
”…邪魔だなぁ”と、大切に着ていた服をないがしろにしていることに気付けました。
あと、なぜ今までハサミを入れられなかったのだろうかを考えました。
形になっているもの、今回で言うと服は服としての形のままで、循環するべきだという気持ちが自分の中にあったからかもしれません。
もう限界突破している服にも服としての役割を強いていたとんでもブラック主でした(汗)
私が同じように限界に達している時にまだまだいけると言われたら泣いてしまいます。
無駄に消費するわけではなく、モノの一番輝いている時(役立っている時)を大切にして、限界が来たらできる限り感謝を表しながらさよならする。
この感謝の表し方は丁寧に供養するだったり、別の何かに役立てたりすることだと今回自分の中にやっとスッと入ってきました。
まさに自分にもハサミを入れたような(うまくはない)
着なくなっていた服にハサミを入れたらなんだかレベルアップしたかもしれないという日の話でした。